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1:武井宏憲
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2024/05/05 (Sun) 23:49:46
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> 上げ馬神事 での動物虐待廃絶請願に賛成
虐待なんですか?>吉田あやかさん
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2:武井宏憲
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2024/05/05 (Sun) 23:50:51
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虐待の定義は法的なものもあるんですが、動物実験ってありますよね。医療的な。
致死性も苦痛(人間ならそう思われているもの)も必要性に応じて行われていますが、虐待なんですか?
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3:武井宏憲
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2024/05/05 (Sun) 23:55:15
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必要性があるから、ってそれは人間の都合ですよね。
実験動物にはそんなものはありません。
また、人間に必要なのか、もかなり疑問があります。
自然に死ぬのが標準なら、今の医療はむしろ「贅沢」に属し、不要になりますよね。
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4:武井宏憲
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2024/05/05 (Sun) 23:59:25
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で、それは「人間の贅沢」のために死ぬ経済動物である競馬や上げ馬とどう違うんですか?>吉田あやかさん
というか・・・
アートは生活必需品ではないから勝手に学習してはいけないなる発言を「生成AI反対」で見たんですが、これ正しいですか?
生活必需品て、人間が勝手に流通性から判断しているだけで、本来そこで切断する理由はないんですよね。
だって人間食料だけあれば死なないですもの。
スマホもネットもカードもいらないんです。
生活必需品に見えるのは、他の人の文化的生活を基準にするからそうみえているだけ。
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5:武井宏憲
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2024/05/06 (Mon) 00:12:26
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そうでなく文化面で他の人と同じ享受できる、ことが「健康で文化的な最低限度の生活」に包含されているはずです。
これは表現の自由にも関わる話で、エロ画像だろうがそこから享受するものがある以上、「成熟した社会の構成員、有権者を涵養する」目的もあるはずなんですよね。
そうなると、「これは必要だから」という定義には疑問しかありません。
上げ馬、経済動物として扱っているというラインは守っていますし、人間も同じリスクを背負っています。
そうなると、これを虐待だとしている論拠はなんでしょうか?
・動物愛護は人間のため(動物のためだとすると矛盾)
・愛護の目的は人間の心の安寧を得るため
・「必要性」は文化面まで含む
・利点として医療実験と神事の間に必要性・残虐性で優劣があるとは言えない
となると、なぜ禁止に?
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6:武井宏憲
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2024/05/06 (Mon) 00:44:24
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この件の多くは、碧志摩メグの一件にもかなり共通します
「自分にとって不快だから」「イデオロギーにあわないから」というだけで「排除しろ」と言える。
その思慮考察のなさ、残虐性です>吉田あやかさん
<(_ _)>
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7:武井宏憲
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2024/05/06 (Mon) 00:44:25
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この件の多くは、碧志摩メグの一件にもかなり共通します
「自分にとって不快だから」「イデオロギーにあわないから」というだけで「排除しろ」と言える。
その思慮考察のなさ、残虐性です>吉田あやかさん
<(_ _)>
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8:武井宏憲
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2024/05/06 (Mon) 01:13:21
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というか、医療実験のほうがよほど残虐なんですよね。
明確に加害意志があるぶん。
そして、医療実験のほうが重大であるといえる理由は特にない・・・