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1:武井宏憲
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2024/04/27 (Sat) 22:15:21
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Shin Hori
@ShinHori1
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22分
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あと出版物や映像が不人気や不買運動や議論の結果として売れなくなって企業が出さなくなるだけならまだ「表現規制」「表現妨害」と呼ぶ程ではないだろう
だが「売れなくても利益度外視で自力で作って発表する」といって自分で出すのを妨げられたら、そこからは「表現規制」or「表現妨害」と言える
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売れなくなるとは別に萎縮してやめています。
ここから事実認識があっていません>shin horiさん
クレームはクレームだし、不買はあくまでも不買なのです。
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2:武井宏憲
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2024/04/27 (Sat) 22:16:43
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商業的理由とは違う。
だからこそ問題にしています。
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3:武井宏憲
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2024/04/27 (Sat) 22:17:10
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そこでいう「妨害」にしても、定義の問題ですよね?
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4:武井宏憲
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2024/04/27 (Sat) 22:18:03
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だから、何度出ても事実認識がおかしい、で終わります。
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5:武井宏憲
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2024/04/27 (Sat) 22:19:12
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そもそも、政治的理由による不買のどこに「話し合い」の余地があるんでしょうか。
単なるパワーゲームです。
それも単面・単純思考のです。
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6:武井宏憲
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2024/04/27 (Sat) 23:01:46
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不買は、「道義的理由で黙らせようとして」実施されます。
商業規範とは言えません。
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7:武井宏憲
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2024/04/27 (Sat) 23:03:52
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商品価値自体も問題にされることはありません。
商業を媒介に理路の異なる道義的規範を押し付けているだけなのです。
しかも、その根拠はほとんどの場合誤解や一方的決めつけによって発生します。
商業であれ道徳であれ、いい加減な基準や決めつけで左右されてはいけません。